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思考の型を持つ (6) - 矜持

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思考の「強度」、という事について以前書いた。

 その際「強度」の定義として、特定の事柄について考えを巡らせ、関係者に報告/共有する際、その思考/仮説は自分が徹底して考え抜いた、言い得る強度を備えているべきである、といった事を述べた。

 

対してここで言う「矜持」とは、相対者に何か意見を表明する際、独立した個として振舞い、意見の対立/衝突を恐れない、という心構えの事を指している。言うまでもなく、これは相対者と自分の関係性(客 - クライアント、業界の大物 - 新参者、上司 - 部下、チームメンバー等)に関わらず常に保持すべき姿勢である。

この点、「強度」というものを自分の内側へ向かっていく概念として捉えるならば、「矜持」というのは外側に広がっていく規律と対置できる。

 

一般に、気の弱い、或いは優しい人ほど自分の意見を主張する事に逡巡しがちである。また、これまで所属してきた社会/組織の文化により、影響を受ける部分も大きい。上意下達の官僚的組織、儒教的/シニオリティの強い文化圏で育った人は、無意識の内に生来の”奥ゆかしい”性質は強化されているだろう。

 

しかし、あなたが表明しなかった意見(視点、分析、示唆、提言 etc)は、他人からすれば存在しなかったものと同じなのである。

また、状況は動的に刻々と変わる。表明する文脈/機会を逸してしまえば、二度とあなたの意見が同じ価値を持つことはない。とりわけ、商談や交渉等の場面においては、相対者の心の機微を捉えて、言うべき時期に言うべき事を言う、という事が肝であり、時期を見誤れば文字通り取り返しがつかない事態を招く。

 

時として人は、相手の経歴や肩書に目を奪われ、翻って自分の思考や意見に自信を持てず、主張する事を憚ってしまうケースも少なくない。しかし、様々な化け物じみた業界最前線の人達と接した結果感じている事は、確かに経験の開きや生まれつき備わっている知的素質の影響力はあるものの、所詮は同じ人間であり、大抵の仕事は「やるか・やらないか」という選択と投下量に9割方依存するという事だ。内在的な差異はない。

 

独立した論客としての姿勢を崩さない、意見を表明する事への畏怖を捨てる、その結果として発生する意見の対立・衝突を恐れない。

つまりは己に「矜持を持つ」こと、これを肝に命じておくべきである。