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自信を持つとは何か? - “confidence”と“conviction”の相違 -

メンタルコントロールの重要性 

心身共に過酷な環境下に自分を置いていると、時に自分を見失う。自己否定と低パフォーマンスの悪循環に一度入ると、そこから抜け出るのは難しい。

 

高い視座に自分を置き続ける事には痛みが伴う。成長意欲が高く、また責任感が強い人ほど自責思考が強い。現状と目指す姿との差分に自信喪失し、責任感の裏返しとして、全てを抱え込んでしまうのである。しかし、それでスランプに陥る様では本末転倒であろう。

 

パフォーマンスを最大化する為、時には都合良く物差しを変えて自己暗示をかける事も必要である。

 

confidenceとconvictionの相違

自信、という日本語に相当する英語として、“confidence”と“conviction”という言葉が思い浮かぶ。私はいわゆる純ドメ、帰国子女でも留学経験もないのでニュアンスを正しく汲み取れていない可能性はあるが、両者の違いを感覚的に述べると、“confidence”が内在的な要素(過去の実績、努力、評価等)であるのに対し、“conviction”は不確実な未来に属する事柄に対する確信というニュアンスがあると感じる。

 

そして、“confidence”と同じくらい“conviction”を持つ事もまた重要であると思っている。というのも、人は過去ではなく未来に向かって生きているからであり、また将来に属する事柄である限り(濃淡の議論はあれど)不確実性を完全に斥ける余地はないのである。

 

「自信をなくした」という時にその人が失っているのは、“confidence”よりもむしろ“conviction”である事が多い。なぜなら、自責的傾向がある人は(先に述べた様に)高い視座に自分を置き、成長意欲が高く、また責任感が強いからこそ、その差分に打ちひしがれているのだ。視座が低く、成長意欲も責任感もない人はそもそも失う自信すらない。

 

しかし、繰り返しになるが、将来に属する事柄から不確実性を完全に斥ける余地はなく、過去の成功体験、或いは経験則によって予見できる未来などたかが知れている。この点、普段から試行錯誤を行っているという前提に立てば、まずは“conviction”、不確実な未来に属する事柄に対する確信をまずは回復し、保持するよう努めるべきだと思うのである。