自戒と備忘、虚構と酔狂

日々の雑感や独白

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情理 - Put yourself in someone's shoes -

“Put yourself in someone's shoes”という言い回しが英語にある。直訳すれば「相手の靴を履く」という事になるが、それはあくまでも比喩として言っているのであって、要するに相手の立場に立ってみよ、という事である。empathyと言い換えてもよい。

 

使い古された比喩だが「相手の靴を履く」、という感覚は何事においても忘れべからざる規律である。

 

この時、他人の心情に対する想像力を持つ事それ自体は単なる所作であり、かつ情緒的なものではありながら一定の道理を見出す事もでき、それを情理と言っている。ただ、そこにまず気がつくかどうか、その向き不向きはあるように思う。

 

"言葉に対する感性"を観察すればその人がどの程度、情理というものに敏感な人間であるかの見立てはつくように思う。言葉は認知の表象であり、相手への配慮を知らない人は自らの言葉に対する他者の反応を予測して言葉を選ぶ事ができないのかも知れない。

 

Blackstoneのスティーブ・シュワルツマンはThe Academy of Interviewsでこう述べている。

 

Finance has much to do with understanding what's on the other person's mind. If you can understand what's on their mind and in effect, that's the problem to solve. And there's a zone of fairness where you can solve that for that person, at the same time, you know not disadvantage the other person you're representing.

ファイナンスとは、相手の立場になって考える事に大きく関わっている。相手の考えている事が分かれば、それこそが解決すべき問題だ。そして、相手の課題を解決しつつ相互の利害を調整するフェアネスの余地がある。

 

You could sit down and you don't even have to meet with the other people to know what's on their mind because you say, "Well, if I were them, what would I want?"

必ずしも相手に直接会う必要はない。ただ、自分が相手の立場だったらどうするだろうか、と己に問いかけるのだ。

 

人は自我の生き物であり、屡々他者への配慮を忘れる。自分自身に余裕がないときは、特に気が回らなくなるものだ。

しかし、言葉遣いから所作に至るまで、規律としての情理を持つ事を忘れてはならないと(自戒を込めて)思う。