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金融資本と人的資本

リスクを取っている資本家の声にこそ耳を傾けるべきである、という論法は資本主義の命題として間違いなく是とすべきだ。かの伊藤レポート経済産業省「持続的成長への競争力とインセンティブ~企業と投資家の望ましい関係構築~」プロジェクト 最終報告書資料」(2016年))ではROE(株主資本収益率)で最低限8%という具体的な指針が提示され、ようやく日本でも証券市場の規律を語る"べき論"として受容されつつある。

 

 

<略>グローバルな投資家から認められるにはまずは第一ステップとして、最低限 8%を上回る ROE を達成することに各企業はコミットすべきである。もちろん、それはあくまでも「最低限」であり、8%を上回ったら、また上回っている企業は、より高い水準を目指すべきである。

 

しかし、何事も原理主義のみによっていては本質を見失う。この点、金融資本と異なり人的資本は分散の自由度が著しく低い。従って、経営として文字通り彼等の生活を"預かっている"責任に背を向ける事は許されない。

また、株主本位の経営というのはあくまで資本家として語るべきものであって、経営・マネジメントの立場においてこの理屈を援用し、自己責任として切り捨てるのは詐術である。

 

以前、『人を見極める という事について書いたが、そこで言った事を裏返せば「一度、雇用すると決めたならば、鍛え上げる覚悟を持つべきだ」という事でもあった。

 

 

個々人の能力や素養、モチベーションは千差万別であり、それはあって然るべきだ。不正や度重なる怠慢等により退出を迫るべき場合もありうる。

また、事業ステージの段階的変化(黎明・成長・成熟・衰退)、或いは社会・産業構造の非連続的な変化に伴い、時にやむなく切り捨てる判断を求められる時もある。

 

しかし、平時から組織から妥協を排し、中長期的な経営ビジョンを持ち、将来の変化や不測の事態にも対応できる体制を敷いていたか。これを経営として真っ先に自問しなければならない。まさにそれこそが経営の職責であり、一定の影響力ある立場を与えられている所以そのものだからだ。