『戦場にかける橋』の実存的矜持

戦場にかける橋 (原題:The Bridge on The River Kwai)という映画がある。今から半世紀以上前の1957年に公開され、今なお映画史に残る名作の一つに挙げられる。

 

題名の「戦場にかける橋」とは、タイ王国のクウェー川に架かるクウェー川鉄橋を指す。第二次世界大戦の1943年のタイとビルマの国境付近にある日本軍の捕虜収容所、そこに収容されたイギリス軍兵士らと、彼らを強制的に泰緬鉄道建設に動員しようとする日本人大佐との対立と交流を描いたこの映画は、フランスの小説家ピエール・ブールによる同題の小説を原案とする。原作は、ピエールの実際の従軍経験に基づいて書かれたものと言われている。

 

 

本作はおそらく意図的に生生しく残酷な描写は抑制的であり(しかしラストシーンでは堰を切ったように爆発する)、国家或いは二項対立的な枠組みを越えた視点から普遍的なヒューマニズムを描こうとしているように感じられる。それを是とするかは議論が分かれるところであろうが、表現の手法は様々な在り方があってよい。戦争それ自体ではなく、彼等の人生を振り回す国家権力が剥き出しになる戦争の時代にしてなお、決して運命に踊らされず、主体としての実存を生きようとする主人公達の姿には時代を越えてなお、胸を打つものがある。

 

冒頭、ニコルソン大佐が率いるイギリス軍捕虜一隊が収容所に移送されてくるところから本作は始まる。大佐として泰緬鉄道建設を主導する斎藤は、工期を目前しつつ一向に進展しない現状に苛立ちを隠せないでいた。焦りと強情から、ジュネーブ協定で禁止された将校の労働までをも強要しようとする斎藤、折檻にも屈せず頑なに拒み続けるニコルソン…押し問答の末、意外にもニコルソンは斎藤に橋建設への協力を申し出る

 

経験豊富な技術者を有する自国軍の優位性を誇示するためだけではない。それは、捕虜の身に甘んじ兵士としての誇りを失ってしまった英国軍に、再び誇りを取り戻す為だった。

 

ここで、英国軍の軍医・クリプトンが疑義を呈する。それに対するニコルソンの言葉が熱い。

 

Clipton: The fact is, what we are doing could be construed as, - forgive me, Sir - collaboration with the enemy. Perhaps even as treasonable activity. Must we work so well? Must we build them a better bridge than they could have built for themselves?

クリプトン軍医「私たちがやっていることは敵との協力ということになりかねません。ひょっとすると反逆罪に問われるかもしれない。これほど必死にやる必要があるでしょうか?敵が自分たちだけで築く事ができたであろう橋よりも良い橋を作らなければならないのでしょうか?」

 

 

Nicolson: If you had to operate on Saito, would you do your job or would you let him die? Would you prefer to see this battalion disintegrate in idleness?

Would you have it said that our chaps can't do a proper job? Don't you realize how important it is to show these people that they can't break us, in body or in spirit?

ニコルソン大佐「もし敵である斉藤を手術することになれば、君は自分の仕事をするか、それとも斉藤を死なせるかね?この我らが大隊が無為に規律を失っていくのを見たいというのか。

君は自分たちの仲間がまともな仕事を出来ないと言われたいというのか?敵が我々の肉体も精神も壊すことが出来ないことを示すこと、それがどれほど重要なことか分からないのかね。」

 

One day the war will be over, and I hope that the people who use this bridge in years to come will remember how it was built, and who built it. Not a gang of slaves, but soldiers! British soldiers, even in captivity.

ニコルソン大佐「いつか戦争は終わる。この橋を何年か後に使う人たちには、この橋がどうやって作られたのか、誰が作ったのかを思い出す事だろう。イギリスの誇り高き兵士たち、我々は捕虜の身でありながら、奴隷の身に落ちることなかったと

 

 

 

あなたは何の為に生きているのか?他の誰の為でもない。己の誇りの為だ。

 

半世紀の時を超えて、この映画は観るものの心にそう語りかけてくる。