自戒と備忘、虚構と酔狂

日々の雑感や独白

MENU

成長曲線と“立ち上がり”

伸び悩む時期を経て若手が非連続的な成長をすることを指して、“立ち上がる”という言い方がされる。

 

自分自身は例外的なケースを除き、何かを理解することに時間がかかるタイプであり、これまで人生の節目で新しい事を始める度に幾度となく苦労してきた。一言で言うなら、要領が悪いのである。実際、飲み込みの早い人を羨ましく思うところはある。

 

しかし物事には両面あり、一定の閾値を超え、ステップ関数的な成長をした後には、ある程度までなら理路整然と語ることができるほどには、暗黙知も含めて言語化ができている状態が出来ていることにも気付いた。この点、勘の良さから初期段階からパフォームする人に意外と苦手とするところかもしれない。

 

紆余曲折、試行錯誤の過程を経ていることは、教育を施す立場としても役立つ。一通りの壁にはぶつかり尽くしており、どういうところで躓くか、その際どういうプロセスを経て解決すべきか、という体系化の作業を終えているからである。

 

そういう個人的な特性と来歴もあり、成長曲線というものを考える際は、「初期(数ヶ月)の定点観測ではなく、中期的(1年~)の視点で見ること」、「立ち上がりのポイントまで待つこと」を常に念頭に置いている。

 

"立ち上がる"、という言葉を教育者の立場から見れば、閾値を超えるまで待つ愛情、と見ることもできるだろう。おおよそ1年ほどと思っているが、それくらいの時期の出来・不出来は誤差の範疇として、鷹揚に構えるような器を持っていたい。