縁、ということについて

“縁”ということがよく言われるが、その言葉の意味を最近になってようやく、理解できた気がする。当時は縁がないように思えた出会いが後になって、再び巡り合うということがここ数ヶ月、何度かあった。時機が来たということなのだろう。

 

思い返してみればこれまでの自分の人生も、そうした縁が織りなす人々との出会いの中で生れた轍そのものである。意志が道を拓く一方で、縁の導きなしに何かに辿り着くこともできない。ひとり自分の人生だけではない。縁と縁が交錯し、また新たな縁が生起する、その只中を人は生きている。

 

巡り合った縁を活かすも殺すのはまた、縁というものに対する当人の向き合い方に左右されうるとも思った。英語にも、“What goes around, comes around”という言い回しがあるように、経験則としての因果律が伝え説かれるのは万国共通であろう。

 

時代を越えて残る言葉には、確かにそれに相応しい智慧と含蓄がある、としみじみと思ったのであった。